イーニド

20130505

自分のケッコン観とかとかそれから

結婚しろとか同棲しろとか外野がワイワイ言うようになってきた
これまでの私は、何者にも束縛されたくなかったし、だから無理矢理就職して実家を出てきたんだし、それはこれからも変わらないように思う
でも今の彼氏と付き合うようになって、ああこの人とだったら別に一緒に生活するのも悪くないかなあとは思うようになった(それはもちろん相手が気ままに生きたいように生きている人だと私の目には映っているからであり、転じて私がこれまで通り好き勝手に行動しても許してくれそうだという自分に都合のいい解釈による)

しかし、だ
他人と生活を共にするということは他人の生活範囲に自らが及ぶということであり、掃除炊事まるでダメな私と他人が生活なんかしようものならその他人が呆れ返って逃げ出す可能性がとびきり高いわけで、そんな絶望なんて見たくないじゃあないか、自分で自分をどうにかできるようになってからじゃないとそんなことはしちゃあいかんという意識が働くわけで、実質月月火水木金金状態の現状でもなんとかやっていけるさ、自分一人の生活くらいキチンと守っていけるさ、ということを私が私に証明できない限りそういう他人の介在する生活への移行の提案自体が不可能なのである
これが第一に他人との生活を拒む理由だ
まあ、この辺は私の生活態度の見直しによりどうにかなる部分なのだが(とはいえかなりの努力が必要な事項であるが)、問題は以下である

男女間で完結している同棲程度ならまだいい
相手さえ良ければただ一緒に寝泊まりするだけだという見方もできるし、別にそれに関してなんやかやついてくることなんて不動産の契約の話くらいだろう(生活費云々はとりあえず置いておいて)
問題は結婚、ケッコン、血痕、そう入籍である
世間ではそれをするのが常識となっているらしいし、私の周りでは当たり前のように二度三度結婚している人間が一人や二人ではない
まあそれは別にいいんだけどさ、ていうか別に入籍程度だったら難易度そう高くないよねって感じだけどさ、自分の親戚一族ひいては祖父母、更には直接の家族ですら面倒くさいと感じている人間が、見ず知らずの相手の血族ともうまくやれというのか
至極個人的なエピソードになるが、私は幼少期に自らの母親が父親側の両親にイビられ号泣し泣いている場面を何度も目撃しているばかりか、台所で深夜泣きながら寝ている母親に近付いたら「本当に(父方の)おばあちゃん好き?一緒に新潟(母の故郷)へ行こう」と縋られ、翌日実際に家出するなどの様子を見ており、なんか知らんけどすげー大変なことが起こってるんだなーと戦慄した記憶が未だ抜けないのである
そのときに母親が
「結婚するっていうのはね、相手の血族と結婚するということなのよ」
とこぼしたため、結婚するっていうのはすごく怖いことなんだ、という意識をこれまで引きずってきた
しかしそ今ではその母が
「いつ彼氏と結婚するの?」
「結婚だけでもしといた方が」
とか言い出すんだから爆笑ものである
私の母が単純に引きが悪かったというのもあるだろう(詳細は伏せるが実際父方の両親、ひいては昔の父親自身が、マジでトンデモ物件だった、なんであんたら結婚したんだよと十代まではしきりに考えたものだ)
世の中そうそうトンデモ物件ばかりでもないだろう
その可能性を考えたところで、やっぱり私はめんどくさそうだなという感想を拭えないのである
結婚式がウザけりゃそんなもんしなきゃいいし、ていうかする必要性も別にないししたくもないのでそういう初期段階におけるオプション的なものはすっ飛ばして考えていいわけだし、子供だって避妊に失敗しなけりゃウッカリできちゃうなんてこともないのでそんなものは欲したときに考えたらいい(その見込みは皆無だが)
そんなことより死なない限り一生ついて回る血族という名の他人、それは、先に述べた相手方のもののみならず、自分の血族という存在も出来れば関わりたくない、が、殺すわけにもいかないし、先日祖母の葬式で親戚一同大集合したときのあんただれだよ感、それが、倍になって、現実に迫ってくるのか!!!!!血族という名の村社会に!!!!!お前は!!!!!私を!!!!!
という気分になるので、結婚マジでこわいなんでみんなそんなラクラクできちゃうの????というのが私の現在の感覚です

という内容をもっと簡潔にした言葉で母に伝えたところ、
「離れてりゃしがらみとかそんな面倒でもないし、入籍した方が何かとお得だよ、税金とか」
などとぬかしやがるのでウギャーとなりました

冒頭でも申し上げたように、私は「今の」相手とだったら何かしらの形で一緒にヘイコラしててもいいかなーとは思っているのですが(しかし相手がどう思っているかまでは知りませんし怖すぎて聞きたいとも思ってませんが)、これまでグダグダ書いてきたことを抜きにしても、単純に人間とのコミュニティ形成を行うという行為自体が恐ろしくて仕方ないのだと思います
今後相手が変わることがあろうが、それは一生ついて回るのかと思うと、そして、人間に生まれた以上それから逃れることができないのだなと思うと、思うと、ああ、人間、社会、残された道は死しかない、のか

そうなのだ、拒絶ではない、恐怖なのだ