イーニド

20121218

なんなんだ
なんなんだよ本当に
頭の中でグルグルと様々な言葉が廻り頭痛がしてきてどうにも言葉にしてしまえば楽なのにブログを書くためにメーラーを開いても一向にどうにもならない
割り切りができない
思うにこれは鬱病なんかじゃない
そういう性格なんだもともと
自分という人間のそもそもの特質がそういうものなのであって、私はもっとボコボコに打ちのめされるべきなのだろう
仕事が終わる
家路につく、又は、大好きな居酒屋のシャッターを開けるために居酒屋へ向かう
そこまでまっすぐ歩くことができない
陰鬱な気分のままどこか違う場所で煙草を吸って一時間近く無駄に過ごす
なあ、私は仕事が嫌だ嫌だと言いながら仕事をしている人間というものが大嫌いなのだよ
なんやかんやと言い訳と言い掛かりをつけて自己正当化する人間も大嫌いだ
仕事を好きになりたい
自分が生活するために必要なことくらい向上心をもって取り組まなくてどうする
しかし自分自身がそれをそうさせてくれない
私がダサいと思うことを私が私に考えさせる
思うようにできないことに関して、解決策を講じる前に愚痴という形で脳内に澱が溜まる
そんなこと嬉しくない
例えば、今はもう大嫌いになってしまったプログラマ職に就いたときはどうだったか
早く一人前になりたくて、ゼロ知識からITパスポート試験に向けて必死で勉強して一発合格を目指したり、ツイッターを始めた頃にフォローしていたそっち系の人を再びフォローしなおしてその人が何を言っているのか理解しようと調べたり、なんだかよくわからないなりに話だけでも聞こうと勉強会に参加しまくったりしていたじゃないか
会社の在り方が自分に合っていないただそれだけで病気を理由に逃げたことは後悔していないが、今再び全然関係ない職種とはいえ昼の仕事(バイト)を始めた途端にプログラマ職から逃げたときと同じ精神状態及び体調に成り果てた
それは完全にダサい、私が忌み嫌っている項目パーフェクト満点状態で、完全休職状態で絵を描いたり居酒屋だけやっていたときの清々しい気持ちから大きく、大きく、外れている
こんなはずではなかった、もう少し自分はまともだと思っていたのにこれは一体どういうことだ
選んだ仕事が合っていなかった、単純にそれだけなのかもしれない
だからといって簡単にそうですかそりゃ大変ですねまあ今は乗り切って修羅場が終わったら次いきましょうよ次、といういわゆる割り切りが上手にできない
実をいうと既に次に挑戦したい職種というのは頭の中にあって、バイトの昼休みにネットでその職種関連の求人情報を眺めているときに未来に希望を持てるような気分になる
しかし、あんた、生きているのは今だぜ
どう今を生きるのか、仕事でも生活でも何でも眼前の課題をこなすことが最重要であるのに、未来のために頑張りましょうだとか過去にこれだけやった自分もいるとかぐじゃぐじゃぐじゃぐじゃ考えてたってそれが何の解決になる
また、たかが販売のバイトでさえ死にたいと思いながら自分を呪いながら朝の苦痛に耐えながらやらなきゃならないというのに、他の何かに手を出したところでそれを努力と向上心と好奇心をもって迎え撃つことができるのか?
私はメンヘラが嫌いだ
正確にいうと、病名や薬の名前を出して逃げと守りに入っている人間が嫌いだ
というか実質メンヘラでもいいんだけどメンヘラという言葉で遊びカテゴライズされたそれにぶら下がる人間や、そうした人間に付着物として食い付く人間が大嫌いだ
自己愛の塊であるはずの私が自分を全く信用できなくなったのも、私が大嫌いなそれの当事者になってしまったからで、そこで甘えは許されないし私はそういう奴らに混ざるものかと意地を張るたびに頭痛がしてきて涙が溢れる
人前で泣くことが困難だった私が自分の働く居酒屋で泣いたことは何度かあるけれど、それは外敵要因(手に負えない怖い客が来たとか元彼氏がストーキングしてきたとか)そういう場合に限った話であって、自らの内面上の理由でそれを口に出して辛いとか苦しいとか言って人に縋って泣いたりだとかということが未だに全然できないために余計に頭痛が酷くなる
ふつうにまともに社会人やってる人はそういう部分のどこで整合性をとっているのだろうな、ということをよく考えるけれど、平均値がわかったところで詳細サンプル毎に答えは全く異なるわけで他人を参考にしたってどうしようもない
例えば私には彼氏という存在がいるので、彼の胸でも借りて喚いて泣いて心情吐露でもすればいいのかもしれない
そういう内容のメールでも書いて送って慰めてもらえばいいのかもしれない
このブログの文章をブログじゃなくて彼氏のメールアドレスに送った方がいいのかもしれない
しかしそれが何の解決になる
逆に自分がそうされた場合、どう応対できるのか?単純に重く感じるだけではないのか
キスやハグにはストレスを何分の一にも軽減する作用があるとの言説がインターネット上に流れている
それが事実だとして、それさえ求めれば根本的解決になるのか?
なるわけないだろう、馬鹿か
第一私と居るメリットが相手にあるならそれでいいけど部屋は汚い顔は不細工見た目に気を使う気も一切無く社会性に乏しいくせにプライドだけは人一倍高いという本当にごめんなさい状態で一緒に居てもらっているというのに私だけが相手から何か求めるなんておこがましいにも程があるというものだ
じゃあどうにかしろよ、って、はい、余裕ができたら
別に恋愛に限った話でなく交友関係でも職場ででもそういう人間関係で素直になってりゃどうということもないと思うんだけど、まで書いて、あーなんか納得したわ
話が逸れた、話も何も、脳内自動筆記のクソみたいなゴミみたいな思考垂れ流しなので話題も何もあったもんじゃないが
要は自分を救えるのは自分自身であって辛い苦しいと嘆いている現状が単純に気に入らないわけで、平日でお客さんがいないのを良いことに大好きな居酒屋で店番しながらこんな肥溜めみたいなブログに腐った臓器ごとゲロを吐き捨てている今この瞬間でさえ腹立たしいわけで26歳にもなってグズグズ頭抱えている私がかわいそうだから私が私を助けてあげたくてしょうがないのに私は私を助けてくれないしどうすればこの局面で私が私を楽にしてあげられるかただそれが常に常に悩みの種なのであって
仕事が悪いのではなく自分自身の立ち回りが悪いのだ
選択の下手くそな自分自身の責任であり、そこは努力でカバーしなければならないところを私の中の何かが邪魔する
ツイッターにくだらないことでも連投して思考を自らの内なる敵から遠ざけりゃ視界ももう少し広がりそうなものだが、なんだかもうそういう隙間すらどっかに行っちゃったよパトラッシュ
脳に鉄壁が出来てしまって内側から大暴れしているような状態がずっと続いている
針の先ほどでも良いから穴を開けたい
このままでいるくらいなら死んでしまいたい
どうやって破壊するか、それだけだ、今は